~創業者成田文吉と歩む歴史の道~
今回は私が現在担当している森林博物館の工事をきっかけに、創業者の成田文吉について深く掘り下げていく中で見つけた、青森の豊かな歴史と文化についてお話ししたいと思います。
明治の匠、成田文吉の足跡
明治41年、成田文吉によって建てられた森林博物館。この歴史ある建物を改修する中で、私は創業者の足跡を辿る旅に出ることにしました。
調べてみると、文吉はつがる市指定有形文化財の旧制木造中学校講堂も手掛けていたことが判明。さらに、その講堂のリーフレットには、大湊要港部石造官舎(現在の北の防人大湊弐番館とおもわれる)を手掛けたとも記載されていました。
大湊要港部石造官舎の施工について、つがる市教育委員会に問い合わせたところ、担当の方が親切丁寧に教えてくださいました。青森市にある聖徳公園記念碑の工事にも携わっていたことがわかり、昭和5年11月3日付の東奥日報には、明治天皇聖徳景仰記念碑の落成除幕式の記事とともに、成田文吉が共同施工者として記載されていることも確認できました。その記事には、大湊要港部石造官舎他七庵新築工事とあり、文吉の活躍が改めて浮き彫りになりました。
あおもり探訪:歴史と文化に触れる旅
森林博物館の工事を通して、私は青森の文化財建物や遺跡、そして成田文吉が携わった建物を訪れるようになりました。弘前の美しい街並み、小牧野遺跡の神秘的な雰囲気、北のまほろば館での青森の歴史に触れる体験など、青森の魅力を再発見する日々でした。
これらの場所を訪れるたびに、成田文吉という人物が、単なる建築家ではなく、青森の文化や歴史を形作る一員であったことを実感しました。彼の残した建物は、単なる建造物ではなく、その時代に生きた人々の暮らしや想いが込められた、いわば「タイムカプセル」のような存在なのかもしれません。
今回の森林博物館の工事を通じて、私は青森の豊かな歴史と文化、そして創業者の成田文吉の偉業に触れることができました。青森には、まだ私たちが知らない魅力がたくさん隠されているはずです。これからも、このような歴史ある建物を後世に残すため、そして青森の魅力を多くの人に知ってもらうために、尽力していきたいと思います。
旧制木造中学校講堂
北の防人大湊弐番館